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1、はじめに

  アマチュア無線は、中学生時代からの夢でした。しかし、勉強というものが好きでなく、受験勉強も十分せずに、国家試験を受けるわけですからなかなか合格しませんでした。やっとの事で、就職した年に資格取得に成功!もう少しで2回目の更新がやってきます。

  JI4JVT-RBBSとしてはもう10年ぐらい運用をしてきました。MO−NET傘下に入って9年間お世話になりました。2000年度になり、引っ越しと共に閉局しました。引っ越し先の広島県庄原市では、転送局も見えないため、残念ながら閉局しました。

  12番ボードに「PiyGya−NET」というボードを作ってます。このネットは、まだパケットを初めて間がない頃、非転送のRBBSをやっていた頃のものです。名前だけでもと! 残しています。

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2、MO−RBBS開局当時の装備

PC9801VM TM−201  144.52  5エレ八木 KPC−4J
FT−712L 431.06 12エレ八木

 HDDは頂き物の20MBのSASIを大切に使用中。最近、鈴虫が繁殖したらしく、キリキリうるさく鳴いています。

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3、MO-RBBSを始めた頃

  RBBSを始めてからもう9年になります。最初は、有線のBBSの開局を考えていました。しかし、本屋で1冊の本との出会いがきっかけで、RBBSの開局を考え始めました。しかし、全く未知のものであり、さっぱり解りませんでした。しかし、運のいいことに、無線で知り合った方が、パケット通信をしている方を紹介してくれたのです。それでも苦戦の連続でした。TNCとリグの接続のために半田ゴテをにぎり細工をしたり、金が無いので、友人にリグ安くわけてもらったり、アンテナを買う金も無いので自作し、リグはみかん箱の上で運用しました。

  非転送のRBBS開局の際も、知り合いのまた、知り合いを紹介していただき、アドバイスをいただきました。そのときRBBSよりTCP/IPの方がいいよと言われたのだが、RBBSしか見えていなかった。今思えば、TCP/IPにし説けば良かったようなきもします。

  なんとか、RBBS非転送開店。その名も「PiyGya−NET」。しかし、1年で
閉店。 それは、転勤先でのJR4MMWさんとの出会いが原因だったわけです。それまでは、非転送のRBBSを細々と運用してたわけですが、MMW局のすすめもあって、とうとう転送型のMO−NETの傘下に入ってしまったのです。 MMW局との面識は無かったものの、時々アクセスしていたのですが、ユーザーで有ることは知らなかったようです。

  しかし、MO−NETに参加しても、非転送のRBBS時代からも相変わらず、閑古鳥の鳴きっぱなしでした。まー、そこがいいところで、いつアクセスしても、直ぐコネクトできるし、いくら使っていても大丈夫。私自身もしたいときにメンテナンスができるので、重宝していました。

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4、1998年度、装備品

 右の写真が、私の部屋の装備品の一部です。上から、TR−9000とSWRメータ(DIAMOND SX−400)プリンターは、CanonのBJC−600J

JI4JVT−MO−RBBSのモニター(NECPC−KD854)とスピーカー。この間にTNCが挟まれている。

左はスキャナー(EPSON GT−8500)、MO(Logitecの230M)その下は、自作DOS/VパソコンとMITUBISHI RD17GR

 

自作パソコンの内容

CPU・・・・・・K6U−350MHz   マザーボード・・・・・XA100

HDD・・・・・・5.2GMB        マウス・・・・・・Microsoft

メモリー・・・・128MB

サウンドボードおよびSCSIボード・・・・・中古

CD-ROM・・36倍速

CD-RW

  4月に引っ越しも完了しましたが、いまだにアンテナがたっておらず、閉局状態。通勤中もCQを出しても・・・・さすがに山道ですから・・・

 

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